هداية المريد إلى جوهرة التوحيد 唯一なる主の本質を求める人への導き

唯一なる主の本質を求める人への導き

هداية المريد إلى جوهرة التوحيد

تأليف: شيخ بكري رجب

作者

シェイフ・バクリー・ラジャブ(故)

ترجمة إلى اليابانية

عبد الملك (إيواي تومويوشي)

هارون

أحمد المنصور

訳者

アブドゥルマリク(イワイ トモヨシ)

ハルーン

アハマド アルマンスール

第一章

بسم الله الرحمن الرحيم

(ビスミッラーヒ アッラフマーニ アッラヒーム)

慈悲あまねく慈愛深きアッラ―の御名において

唯一の主アッラ―に感謝し、最後の預言者ムハンマド(SAW)の上に平安がありますように、そして彼の家族や教友達、審判の日まで彼の道を歩む人たちの上にも平安がありますように。

この本は、シェイフ・イブラヒーム・アッラッカーニが書いた「ジャウハラトゥ・アッタウヒード」を解説した、シェイフ・イブラヒーム・ビン・ムハンマド・アルバイジューリの書いた本をもとにし、タウヒード(主の唯一性)の他の本も参考にして出来上がりました。この仕事は、アッラ―のためだけの純粋な仕事として与えていただけるよう、アッラ―にお願いします。また、純粋な心で知恵を求める人に役立ちますように。

 * * *

この本は「ビスミッラーヒ・アッラフマーニ・アッラヒーム」で始めました。なぜならば聖クルアーンは「ビスミッラーヒ」で始まっています。さらに、ムハンマド(SAW)のハディースでこう言っています:「ビスミッラーヒアッラフマーニアッラヒーム」で始まらないものは未完成なものになります。また、これは詩ではありません。なぜならば、詩は「ビスミッラーヒ」で始まりません(詩には、中傷してはいけない人を中傷したり、誉めない方がいい人を誉めたりするからです)。

この本の本題は、タウヒード(主の唯一性)の知識であります。それは一番誉れ高い知識であり、イスラーム法学の中でも高い位置にあります。「ビスミッラーヒアッラフマーニアッラヒーム」の中の「アッラ―」とは、自存するお方の名称であります。創造主アッラ―は全ての称讃を得、他のもの(創造物)からなにも必要としないお方です。逆に、アッラ―以外のもの全て(創造物)はアッラ―を必要とします。創造主の属性(99の呼び名)の中で、「アッラ―」は一番偉大であり、それを使ってドゥアー(願い事や頼み事)をするとお聞き入れ下さいます。お聞き入れ下さらない場合はドゥアーをしている人がドゥアーのお聞き入れ条件を満たしていないからです(例えば、アッラ―から命じられた義務を怠っている場合)。そうでない場合は、ハディースによると:「髪が埃まみれや服が汚れている人でもドゥアーをするとアッラ―はお答えくださいます」。

また、「アッラフマーニ アッラヒーム」は「慈悲」から導かれた二つの属性であります。誰のための慈悲かというと、創造物にお与え下さる慈悲であります。「アッラフマーン」とは大きい恵み、「アッラヒーム」とは小さい恵みを与えてくださるアッラ―の属性であります。「アッラフマーン」と「アッラヒーム」を一緒にしたのは大きな恵みでも小さな恵みでも全てをアッラ―だけにお願いするべきであります。なぜなら全ての恵みはアッラ―の許にあるからです。

 * * *

「ビスミッラヒアッラフマーニアッラヒーム」の後は「アルハムドゥ リッラ-」(アッラ―に感謝)という言葉が来ます。このような本の頭には「アルハムドゥ リッラ―」が来ますし、授業などの開始も「ビスミッラヒアッラフマーニアッラヒーム」と「アルハムドゥ リッラ―」で始まります。「アルハムドゥ」(感謝)の一番よい言い方は「アルハムドゥ リッラーヒ ラッビル アーラミーン」であります。

「アルハムドゥ リッラ―」とは?

直訳では「アルハムドゥリッラ―」とはアッラ―の偉大さに対し恵みをもらってももらえなくても良い言葉でアッラ―に感謝することであります。例えば、ある人からものをもらった場合はその人のことを「気前の良い人」という言葉で感謝します。また、健全な礼拝をする人を見ると「良い人」という言葉で誉めます。二つの例の「アルハムドゥ」は感謝または誉め称える意味になります。さらに、「アルハムドゥ」の意味を広くとると「アルハムドゥ アルカディーム」を占めます。「アルハムドゥ アルカディーム」とはアッラ―がご自身と預言者たちさらにアッラ―のワリー(友達)を誉め称えることであります。「アルカディーム」を辞書で引くと「古い」という意味ですが、「始まりがなく終りも無い」という意味でもあります。一方、「アルハムドゥ アルハーディス」とは、我々(人間)がアッラ―と人間同士を誉め称えることであります。

一方、イスラーム法学の定義では「アルハムドゥ」とは、恵みを与えて下さった方(アッラ―)を偉大にすることであります。それは、口、心、行動で表します。

預言者の定義

 預言者(ナビー)とは、聖法が啓示されたアーダム(アダム)の子孫の一人の自由人男性です。この聖法を伝えることを命じられたら使徒(ラスール)となります。そうでなければ預言者です。ただし、妖霊(ジン)、天使(マラーイカ)、女性は預言者に選ばれません。

クルアーンによると:「ジンと人間の方々よ、あなた方の間から挙げられた使徒たちが、あなた方の許に来なかったか」家畜章130節。その意味は、あなた方のどちらかの許に来なかったか、それは人間です。

また:「アッラーは天使と人間の中から使徒を選ばれる」巡礼章75節。その意味は、聖法を預言者に伝える使徒を天使の中から選ばれ、人間に伝える使徒を人間の中から選ばれました。マルヤム(聖マリア)については、彼女は正直者であり預言者ではなかった。

 啓示(ワヒー)

  ワヒーには二種類あります。預言者の場合は啓示(ワヒー)と言い、預言者以外は教示(イルハーム)と言います。例えば、「そこでわれは、ムーサー(モーゼ)の母に啓示して言った」物語章7節。その意味は、教示(イルハーム)です。この教示は人間だけではなく動物にも下ることがあります。例えば、「またあなたの主は蜜蜂に啓示した」蜜蜂章68節。

預言者の数は12万4千人です。その中で使徒は313人です。ただしその本当の数はアッラーのみがご存知です。なぜならばクルアーンによると「われはあなた(ムハンマド)以前にも使徒たちを遣わした。そのある者についてはあなたに語り、またある者については語っていない。」ガーフィル章78節。預言者ムハンマドが来られた時代は特別であり、神の唯一性を信じる者がいませんでした。なぜなら彼以前の預言者が来た時には既に唯一性を信じる者がいたからです。例えばイーサー(イエス)が来た時既にヤヒヤー(ヨハネ)がいました。またヤヒヤーが来た時には既にヤヒヤの父ザカリーヤがいました。またクルアーンによると「あなたがた啓典の民よ、使徒たちが中断された後わが使徒(ムハンマド)がやって来て、あなた方に対し(事物の)解明をする。」食卓章19節。

ムハンマドに啓示が始まったのは40歳のときでした。最初の啓示はイスラム暦3月に眠っている間に来ました。ムハンマドが起きている間に大天使ジブリール(彼の上に平安あれ)がクルアーンを持ってきたのはイスラム暦9月のラマダーン月でした。預言者たちに40歳になってから啓示された理由はその年になって知性と体力が完成されるからです。ただしヤヒヤーとイーサーは例外です。クルアーンによると「そしてわれは、幼少の時に彼(ヤヒヤー)に英知を授けた」マルヤム章12節。またイーサーに対して「そこで彼女は、彼を指差した。彼らは言った。どうして私たちは、ゆりかごの中の赤ん坊に話すことができようか。その時彼(イーサー)は言った。私は本当にアッラーのしもべです。かれは啓典を私に与え、また私を預言者になされました。」マルヤム章29-30節。

主の(タウヒード)唯一性の定義

直訳では「タウヒード」とは統一または一つにすること。イスラム法では「タウヒード」とは確実な証拠を用い、得られた信条を証明する学問です。「タウヒード」は一番高貴な崇拝です。次に来るのは礼拝(サラート)です。ハディース(預言者ムハンマドの言語、習慣録)によると「アッラーはタウヒードとサラートをどんな行いより高貴なものとされました。」

「タウヒード」学を勉強するには次の10項目を知らなくてはなりません。

 1- 「タウヒード」の主題

アッラーの本質、それに対しての義務的な性質または不可能そして可能な性質と預言者たち自身です。

 2- 「タウヒード」の成果

絶対的な証拠によってアッラーを知ることです。また永遠の幸福を得ることです。

3- 「タウヒード」の恩恵

アッラーと預言者を学ぶ最も高貴な学問です。

4-  「タウヒード」学の創始者

アブーアルハサン・アルアシュアリ氏とアブーマンスール・アルマートゥリーディ氏です。

5- 「タウヒード」学の呼び名と規則

イルム・アッタウヒードです。成人男女に対してそれを学ぶことは義務です。

6- 「タウヒード」学の項目

義務と不可能と可能なことを探求する項目。この三つの原則は「タウヒード」学の入門と呼ばれる。

7- ディーン(宗教)の定義

直訳では「ディーン」とは正しいかどうかと無関係に宗教または信仰になれる考えまたは生きかた。イスラム法では「ディーン」とは健全な心を持っている人間が自分の意志で自分に良いことに導かれるシステムであります。要約すれば「ディーン」とは人間を善に導くためにアッラーが定められた法です。それは永遠の幸福であり、主に近づくことです。

 8- ディーンのしるし

しるしは四つあります。一、心から求めること。それは純粋な意思で崇拝すること。二、約束を守ること。つまり義務を果たすこと。三、禁止されたもの(ハラーム)を避けること。四、信仰の健全性、つまり正統派の信仰を信じること。

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3 thoughts on “هداية المريد إلى جوهرة التوحيد 唯一なる主の本質を求める人への導き

  1. جزاكم الله خيراً ..
    أتمنى لو يتم إرفاق النص العربي من أجل غير المجيدين للعربية ولكم جزيل الشكر والامتنان

    1. عزيزي أسعد: أولا أشكرك على المرور. ثانياً سأضع النص العربي قريباً إنشاء الله. هذا هو كتاب كامل و لكن وضعت فقط الجزء الذي ترجمناه.

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