魂の歓び

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はじめに

この本はもともと、サイイド(彼にアッラーの慈愛あれ)が、彼の姉であるアミーナ・クトゥブに宛てて書いた手紙である。チュニジアの『フィクル』誌が、4年目の第6号において、1959年3月、「遠くからの光」というタイトルで、当書簡を発表した

 この手紙に向けた要望が高まったとき、私たちは出版に着手した。強く偉大なアッラーからの受け入れへの希望に胸を膨らませて

慈愛深く慈愛あまねきアッラーの御名において

親愛なる姉へ…これらの考えは、貴女に向けて贈られたものである

死という概念は、未だあなたにとって不明瞭なままである。あなたはありとあらゆる場面で、またあらゆるものの裏側にそれを思い描き、人生や生命を支配する強い力であると見なす。それに比べて生は、怯え震える些細なものにすぎない。私もまた同じ瞬間を見ているが、あふれんばかりにほとばしる豊かな生の力に比べて、死はぼんやりとした貧弱なものにしか見えないのである。死は、ほとんど、ただ生の食卓からこぼれ落ちた食べかすを拾い集め、貪る程度のことしかしていない!…豊かな生の広がりは、まさにそれこそ私のすぐそばで躍動している!…万物は、沈滞せず、成長と繁栄に向かう…母は子を孕み、産む。人間も動物も同じことである。鳥や魚や虫たちは、卵を産み、生命を生のもとに咲かせる。大地は花や実をつける植物を芽吹かせ、点は雨にあふれ、海は波にあふれている。万物はこの地上において成長しつづけ、増殖していくのである

死は、突然(生に)噛みついて、すぐに逃げ去っていくことがある。あるいは、生のテーブルからこぼれ落ちたいくらかの食べかすを拾い集め、貪るためにしゃがみこむ!…生は、その道を進み続け、生き、ほとばしり、泡立つ。生は死を感じることも、またそれに目をやることも、ほとんどないのである

死がその身体に嚙みついたとき、生は痛みのあまり声をあげた。しかし、その傷の癒えることの、なんと速いことか。また、その痛みの叫びが喜びに変わることの、なんと速いことか…そして、人間が、動物が、鳥が、魚が、虫が、草木が、萌え出で、大地の表面に生と生命をもって広がる!…死は、そこに身を潜めていて、(時折)噛みついて逃げ去るのである…あるいは、生のテーブルからこぼれ落ちた食べかすを貪るために集める

太陽は昇り、また沈んでゆく。大地はその周りを回る。生命は、あちらこちらから現れる…万物は成長を続ける…数や種の成長、量や質の成長へ…もし、死が何かを作り出すことができたとしたら、生の広がりは止まるだろう…しかし死のそれは、生のあふれる力に比べれば、ぼんやりとした貧弱な力である。永世者たるアッラーのお力によって、生は現れ、広がっていくのである

 2

私たちが自分のためだけに生きるとき、私たちの人生は短く、小さく見える。人生は、私たちが意識を始めたところから始まる。そして、それは寿命の終わりとともに終わりを迎えるのである!…(一方)私たちが、私たち以外のもののために生きるとき、つまり私たちが目的意識をもって生きるとき、実に人生というものは、長く、深く思える。それは、人類が始まったときに始まり、そしてこの大地の表面から離れた後もなお、広がってゆくのである!…そのように生きた時、私たちは、私たちの年齢の数の倍、生きることが可能になる。私たちは、幻想ではなく、本当に、それを手に入れることができるのである。したがって、このように人生を考えることが、私たちの日々の、時の、一瞬一瞬の意識を膨らませるのである。また、人生は重ねた歳の数によるものではなく、情緒の数によるものである。また、現実主義者が幻想と呼ぶものは、最も正しい真実である。なぜならば、人生とは、それに対する人間の意識以外の何者でもないからである。試しに、人間から、彼の人生に対する意識を奪ってみなさい。あなたは、彼から本当の意味での人生を奪うことになる。人間は、人生が倍になったと感じるときは、本当に倍の生を生きるのである。私には、議論の必要もないほど、そのことが当たり前のことに思える!…私たちは、他者のために生きた時、同時に自分たちのために倍の人生を生きたことになるのである。また、他人に対する思いを増やせば増やすほど、自分の人生に対する意識も増えていくのである

悪の種は動揺するが、善の種は実を付ける。善の樹から光と空気を遮ろうと、前者はすぐに空き地に広がるが、土の中ではただ浅く根をはっているだけである。しかし、善の樹は、ゆっくりとした成長を続ける。なぜならその根の土の中での深さが、それにあたたかさと空気を与えるから…。悪の樹になるきらきらとした偽物の見せかけを無視して、それが真に持つ力と強さを調べたら、それが本当の強さではなく、もろく弱い中身のないものであるとわかった。その一方、善の樹は試練に耐え、嵐にも沈着を保ち、ゆっくりとした静かな成長を続け、悪の樹が細かな埃やトゲを投げつけてくるのも気にしない

 4

私たちが人間の魂の良い側面に接するとき、初めには気が付かなかった良さがたくさんあることに気が付く!…私はそのことを経験してきた。それを、私は多くの人との関係の中で経験した。たとえ初めは彼らを悪く、もしくは感情を持たない人のように思っても、彼らの誤りや愚かさに対して、少しの愛情があれば、また、彼らの悩み事に対して少しの気遣いがあれば―それはわざとらしいものではなく―、彼らの魂の中にある善の泉に気づいて、一方で彼らはあなたに愛と愛情と信頼を与え、そのかわりにあなたは彼らにあなたの魂から少し分け与える。これは同時に、あなたが彼らに、真実と、清澄、そして純正さを与えることでもある

実は、人間の魂において、悪というものは、私たちがしばしばそれを思い描くほどには深いものではない。それは、生き残りのために人間たちが戦いを挑んだあの硬い表皮の中にある。もし彼らが心から安心するときには、その硬い皮からは、官能的な甘い果実(本質)がさらけ出されるだろう。この甘い果実は、人々が安心を感じられる人のそばでさらけ出されるのである。愛情の中の信頼、彼らの戦いと痛みに対する、そして彼らの誤り、愚かさに対する真の慈愛によって…。初めに少しの寛容さがあれば、それがこれら全ての実現を保証してくれる。多くの人が予想するよりも、もっと簡単に…。私はそれを既に試した、身をもって試したのである。私はそれを、単なる幻想の、根も葉もない言葉として言ってきたのではない

春 الربيع

作家:ムスタファ・サーディク・アルラーフィイ

いかに自然は美しく愛される者のようになるのか見に出かけた。自然を愛する者(人間)は、自然を愛さざるを得ない。自然は、どのように恋人になるのか。

恋人は美しい言葉を触るかのような感覚を増やす。私はもの悲しく捨てられている心のようだった。空や大地を見つけはしたが、その中に自分の空や大地を見出せなかった。アダムが天国から出されてから何千年が経ったことか。この心は悲しくなる度に、今この瞬間に、楽園から追い出されたかのように感じる。それと共に歴史は心の中で繰り返す。

詩人は自然の美しさを前にして立ち止まる。気持ちが迸り、震え、歓喜せざるを得ない。なぜならば、この地面に現れた秘密は、人間自身の中に現れたがるからである。詩人は、この優しい宗教(存在)の預言者であり、その存在の法は、美しさと慈善でもって人々を良い方に直す。すべての自然が、生き生きとした目そのものに美しく見せ、そのときに意味を与える。これと共に自然は、写真家の前に立つ美しい女性のように、詩人の前で祝ってめかし込んで立っている。

花々は優しく愛おしく比喩で包み込まれた言葉のように私に見えた。そして、そよ風は美人の服と同じように、着ている人の美しさを表すように、花々の周りにある。それぞれの花は微笑みのようだ。その下に複雑な心の言葉の秘密があるから。それは、7つの色をもった太陽による色のついた光の言葉なのか?

あるいは、頬や唇や胸や首元や絹織物や宝飾品の色の光の言葉なのか。

恋人たちは、この美しい花々における自然のしるしから何を理解するのか。恋人たちに花でもって享楽の寿命が短いことを示しているのか。自然が恋人たちにこう話す:「享楽はほんのちょっとだけだよ。」美しいものと美しいものの違いは、色と色の違いや、匂いと匂いの違いのようなものだと彼らに教える。愛おしい日々が真実の日々ではなくて、写しの日々であることを彼らに耳打ちするだろうか。あるいは、自然がこう語るだろうか。「これは全て、虫たちよ、あなたがたは花から花へと花粉を運ぶために色や匂いに惹きつけられる現象に騙されるのだ。」と。

春には、大地の色が大地に、そして魂の色が魂に写るのだ。水が自然に対して御業を行い、そして、植物を萌え出でさせ、血の仕業をして悪夢の恐怖を生み出す。空気は恋人同士の唇から漏れる吐息のようである。全てのものが輝いている状態に戻る。なぜなら、それらすべての生命が光の根の中で鼓動するからだ。すべての生物は歌う。なぜなら、愛が音を出したがっているからだ。

春には、光が目だけにではなく、心にも光る。空気は胸を貫くだけではなく、愛をも貫く。太陽には2つの熱があり、そのうちの1つは人間たちの血の中にある。(人間の行動に反映する。)美しさが溢れ出す。春は天国の景色を地球に試して見せる。口の利けない動物自身に部分的に理性的な態度が現れ、喜びや容器の哲学的な概念を認識する。太陽は冬の間は雲の中に浮いている絵画のようになった。昼は、太陽ではなく月で明るく照らされているようだった。

空気は違う性質を持っている雨のようだった。人生は空気の陰鬱さをあらゆるものに反映した。春が来る時、太陽によって生き物たちの集まりが喜んだ。母親が旅から帰ってきた子供たちのように喜んだ。

若者たちが自然を眺めて、大地は若々しく彼らに現れる。世界の概念の中で価値を見出すよりも、自身の概念に価値を見出すことを感じる。彼らのためにこの世は花々と花々の概念と花々の天啓で満たされる。彼らのために太陽の光が春をつくり、心の光がもう一つの春をつくる。人生は年老いた人を忘れない。

彼らの春は太陽の光である…なんと生命の秘密に感動することか!春にはすべての木々が美しく、幾何学的で、それぞれ独立している。たとえ木々を切り、形が変わったりしても、生命は新しい幾何学的な美しさの中にそれを現す。切っているのに、元通りに直したかのように。もし一つの生きている根っこしか残らなくても、生命は急いで小枝や葉から木を形づくる。人生は人生である。

あなたがそれを損なわなければ、いつも贈り物がやってくる。信じれば、自身の大きさではなく、あなたが信じた力の大きさになる。

((さあ、アッラーの慈悲の跡をよく見るがいい。かれがいかに、死んだ後の大地を甦らされるかを。))自然の中で、それぞれの理解することに従って、これらすべての生き物を喜ばせる概念をかれ(アッラー)がいかに創造するか見なさい。大地において、かれがいかに喜びの概念を創造するか見なさい。また、空気において幸せの概念を創造するか見なさい。小さい虫がどのように生きることに安心し、満足しているか見なさい。見よ、見よ。それらすべてが絶望に対して「嫌です」という言葉で答えているようではないか?

بانتظار جنية الدافع

Waiting for the motivation fairy
Hugh Kearns & Maria Gardiner
This article was originally published in the journal Nature
Nature 472, 127 (2011)
doi:10.1038/nj7341-127a
Published online 06 April 2011
http://www.nature.com/naturejobs/science/articles/10.1038/nj7341-127a
ترجمة: سارة بدلة

بانتظار جنية الدافع

إنه لمن السهل اﻻستسلام للتأجيل لكن هيو كيرنز وماريا غاردنر يعرضان بعض النصائح ﻹعادة دفة القيادة إلى مسارها الصحيح. .

دوغلاس آدامز: “أحب المواعيد النهائية ويعجبني صوت الرنين الذي تحدثه أثناء انقضائها.”

إذا كنت تحاول تهيئة الظروف المثالية للتأجيل، فإن إجراء مشروع بحثي سيتولى تأمينها. تميل مثل هذه المشاريع لكونها كبيرة ومستهلكة للوقت: فمثلاً غالباً ما يستغرق إكمال مشروع بحث الدكتوراة ثلاث سنوات أو أكثر. وغالباً ما تكون المواعيد النهائية والنقاط المحددة للتسليم غامضة وسيئة التحديد. باﻹضافة إلى عدم وجود تغذية راجعة إيجابية على طول رحلة البحث وستستغرق المكافآت – إن كان هناك أية مكافآت – وقتاً طويلاً لتأتي. أضف أيضاً حقيقة كون المشرفين الأكاديميين ينشدون الكمال ومتطلبون، هذا إن لم يكونوا مثاليين وتوقعيين. وهناك تساؤل بسيط عن سبب كون التأجيل هو الموضوع اﻷكثر نقاشاً بين الخريجين والباحثين في ورشات البحث. وفي الحقيقة يسلّم العديد من الباحثين بأنهم ببساطة تحت رحمة قوى التأجيل، ومحكومون بارتفاع مستويات الضغط وبمواعيد نهائية مطولة. على أية حال هناك استراتيجيات بسيطة تدفعك للانخراط في الموضوع. اﻷولى هي أن تدرك اﻷنماط التي بدأت بعملها.

اﻹزاحة المتقدمة
إن بعض أنشطة التأجيل واضحة للغاية فمثلاً هناك فنجان قهوة الصباح الذي يزحف إلى وقت الغداء، أو مشاهدة المقاطع المصورة على موقع اليوتيوب وإرسالها لجميع أصدقائك، أو تحديث حالتك على موقع التواصل الاجتماعي الفيسبوك في حين أنه يجب عليك تحديث بحثك الذي تعمل عليه. لكن أكثرها تأثيراً على التأجيل هو أكثر مكراً، وحتى أنه يستطيع تضليلك عن العمل المنتج. فمثلاً: في محاولة تتبع ذلك المرجع المحيّر مع أنه بالفعل لديك مسبقاً مراجع أكثر مما سيتيح لك الوقت قراءته. أو أنك ستبدأ بالقيام بتجربة جديدة بدﻻً من تحليل التجربة السابقة. أو تحاول تقييم اﻵنية الزجاجية الموجودة في المختبر. أو تتفقد بريدك الإلكتروني. تجعل هذه النشاطات الأمر يبدو وكأنك تنجز شيئاً مفيداً، ويمكن أنه كذلك، ولكنه ليس الشيء الذي يجب القيام به اﻵن. إذن ما سبب كون اﻷعمال المنزلية، مثلاً، تشكل متعة كبيرة جداً عندما يفترض بك العمل على أطروحتك أو بحثك؟ إنها نشاط إزاحة يتم توظيفه ليبدو لوماً ذاتياً أو مصدر إزعاج نشعر به لعدم قيامنا بشيء آخر. حيث أن قراءة رواية أو أخذ قليلة يسبب الكثير من الشعور بالذنب. على أية حال هل سبق وقلت لنفسك: على مجلداتي أن تكون مرتبة حتى يسهل علي إيجاد الملفات؟ ﻷن هذا سيسرع من عملية الكتابة. أو ربما صنفت بجد جميع الخزائن في المختبر لجعل العثور على اﻷشياء عملية أسهل. بالرغم من أن مثل هذه النشاطات أو اﻷعذار تبدو مقبولة ، إﻻ أن عيبها القاتل هو أنها بمجرد أن تنقضي فإنه ﻻ يزال أمامك البحث الذي لم ينته، والتجربة التي عليك البدء بها واﻷطروحة التي لم تكتب. وعلى اﻷرجح سيتزايد شعورك بالذنب بسبب عدم إحرازك أي تقدم للوصول الى هدفك. ومع أنك وجدت وقرأت ذاك المرجع، فإنك ماتزال فاقداً لدافع الكتابة. وبينما كنت تجيب على رسائلك اﻹلكترونية وتعد اﻵنية الزجاجية بحزن، لم تمر بك جنية الدافع ولم تجعل تلك المهمة الصعبة تبدو أكثر جاذبية أبداً. هذه بالتأكيد ليست الطريقة التي يأتي بها الدافع. لدى معظم اﻷشخاص سوء فهم أساسي: فنحن نحب الظن بأن الدافع يقودنا إلى الفعل، أو ببساطة أكثر، عندما تشعر بأنك تريد القيام بعمل ما فإنك ستفعله. هذا النمط يمكن أن يصلح للأشياء التي نستمتع بالقيام بها، مثل متابعة فيلم ما أو الذهاب في نزهة على اﻷقدام. ولكن ليس بالضرورة أن يكون صالحاً للمهام الضخمة ذات المواعيد النهائية الغامضة. وتكمن المشكلة في أنك قد لا تشعر بالدافعية لمراجعة أو تقييم البحث – على أقل ليس قبل صدور موعد نهائي ﻻ يمكن تجاهله. في مثل هذه الحالة أنت بحاجة لنمط مختلف.

تعويذة الدافع
تُظهر بعض اﻷبحاث النفسية أن الفعل يقود الى الدافع والذي بدوره يقود الى مزيد من الفعل. لذا يجب عليك البدء قبل أن تشعر بالجاهزية؛ بعدها ستشعر بمزيد من الدافعية ومن ثمّ ستقوم بالمزيد من الفعل. من المرجح أنك مررت بهذا بنفسك. عندما تؤجل إجراء تحليل لفترة طويلة من الزمن، فإنك في النهاية ستقرر عمله وحالما تبدأ بعمله ستقول لنفسك: ” هذا ليس سيئاً بالقدر الذي ظننته، لمَ ﻻ أواصل عمله؟” بالطبع إن البدء بالعمل قبل الشعور بالدافعية أمر صعب، ولكن يمكن ﻻستراتيجيات معينة أن تعالج مباشرة الظروف التي تقود الى التأجيل في المقام الأول. أولاً: تحتاج المشاريع الكبيرة للتقسيم إلى خطوات. ليس فقط إلى خطوات صغيرة ولكن إلى خطوات بالغة الصغر. وبدﻻً من القول بأنك ستقوم بمراجعات للبحث – والتي ستبدو على اﻷرجح مربكة. يمكن الخطوة الصغيرة أن تكون قراءة تعليقات المشرف أو القيام بالتعديلات اﻷولى. ثانياً: تحتاج لضبط وقت أو موعد نهائي تنجز بحلوله تلك الخطوة الصغيرة. وقول أنك ستفعلها فيما بعد أو غداً ليس كافياً – يحتاج الموعد النهائي لضبط ساعة متعلقة به. ثالثاً: تحتاج ﻹيجاد مكافأة فورية. فإذا انتهيت من قراءة التعليقات في موعدها النهائي المحدد مثلا عند الساعة العاشرة صباحاً، تستطيع مكافأة نفسك عندها بتناول القهوة وبمحادثة قصيرة أو تبادل سريع للبريد الإلكتروني. إنه من المحتمل جداً أن يعمل دافعك في الوقت الذي تبدأ به المهمة وستجد نفسك راغباً في قضاء وقت أطول في العمل. لذلك إن لم تكن جنية الدافع تمرّ بمختبرك أو مكتبك بتكرار، فلربما وجب عليك مساعدتها. وفي المرة القادمة التي تضبط نفسك فيها منشغلاً بأنشطة اﻹزاحة، تذكّر بأن هناك طريقة ﻻسترداد عجلة القيادة المراوغة تلك. اتبع قواعدنا الثلاث وراقب نمو دافعك.

مراعاة واتباع مشرفك الأكاديمي؟

النص الأصلي تجده في:

http://www.nature.com/naturejobs/science/articles/10.1038/nj7331-570a

تمت مراسلة المؤلفين وطلب الإذن بالترجمة

النص العربي: ترجمة سارة بدلة

يقول كل من هيو كيرنز وماريا غاردنر: ” يحمل الخريجون مسؤولية بقدر تلك التي يحملها أساتذتهم لإثبات أنه تم توجيههم بشكل حسن عبر مسيرة نيلهم لدرجاتهم العلمية”. يتذمر الطلاب عند قدوم موعد التخرج على الدوام بسبب مشرفيهم العلميين. إنها تقريبا مقالة عن الثقة. قد لا يتواجد المشرف العلمي أو قد يتواجد دائما، وقد يعطي الكثير من التغذية الراجعة أو لا يعطيها بشكل كاف، أو قد يكون كثير النقد أو لا يعطي التوجيهات اللازمة…وهكذا. يعد تبادل الطلاب لقصصهم المرعبة طريقة ناجحة لتأكيد ذلك . يتبع تقديم الإشراف كلا الطريقتين – فإذا تأكد الطلاب، بعد تفكير متأن في دراساتهم وتقدمهم، من عدم تلقي الإرشاد المطلوب – فعليهم معالجة أوجه القصور. ليس من المفاجئ أن يشار كثيرا إلى المشرفين خلال محادثات الطلاب الخريجين.هذا وقد ذكر المجلس الأمريكي للجامعات في واشنطن عام ٢٠٠٩ نتائج دراسة أظهرت أن ٦٥ بالمئة من ١٨٥٦ طالب دكتوراه تلقوا التوجيه أو الإشراف المطلوب كعامل أساسي في إتمام رسالة الدكتوراة. يقترح بحثنا الخاص في جامعة فليندرز في ٱديلايد في أستراليا، وتجربتنا في ورش العمل مع الطلاب الخريجين عبر العالم أن يكون للعلاقة بين الطالب والمشرف تأثير كبير على مدة تقديم الرسالة. سيؤثر هذا حتما على ما إذا كان الطالب في نهاية المطاف لا يزال مبتسما! يفترض الطلاب في أغلب الأحيان أنه حال تسميتهم لأحدهم كمشرف علمي فإنه سيمتلك تلقائيا جميع مهارات الإشراف. وعلاوة على ذلك، إن كان مشرفك العالم رقم واحد في تقنية الخلايا الجذعية، فينبغي عليه أن يتفوق ولو بالظاهر في مهمة الإشراف البسيطة – بدون أن نذكر امتلاكه لأعلى المهارات الشخصية المتطورة واهتمامه المتوقد بتطوير الطلاب الخريجين. بكل أسف، ليس هذا واقع الحال. في بعض الأحيان، يكون الإشراف نقطة ضعف لعالم بارع للغاية، وهذا ليس بالأمر المفاجئ. يميل التوجيه ليكون عملا خاصا وغالبا ما يكون النموذج الوحيد المتوافر: تجربة المشرف الخاصة عندما تم الإشراف عليه. فإذا كانت جيدة فإنهم يقررون تقليد هذا الأسلوب وهذه المنهجية. أما إن كانت سيئة فسيقومون بالنقيض من ذلك. لا يوجد هناك ضمانة بأن أي منهج من المنهجين سيؤمن الإرشاد/ التوجيه الذي يحتاجه الطالب. إن وجود منهج استباقي أمر ضروري. إن لم يعتن بك مشرفك بالطريقة التي تحتاجها؛ عندها كن أنت من يعتني به. عند نقطة معينة في رحلة الدكتوراة يصل معظم الطلاب الخريجون إلى إدراك هام ألا وهو: ” إن هذه أطروحتي واسمي مكتوب في مقدمتها. ذلك يتطلب مني أن أصبح قائدها”. وكلما أسرع الطالب بذلك، كلما كان أفضل. إن لم تتلق التغذية الراجعة والتوجيه الواضح أو المصادر الضرورية، عندها يتوجب عليك فعل شيء حيال هذا الأمر. ما الذي يعنيه هذا على أرض التطبيق العملي؟ دعونا نتناول بعض الأمثلة.

اللقاءات

كثيرا ما يتردد هذا التعليق على مسامعنا خلال ورشات العمل: ” إن مشرفي العلمي رائع لولا أنه مشغول جدا بحيث أنه لايتسنى لنا الحديث حول أطروحتي”. ويكون ردنا : ” نعم، مشرفك مشغول. كل المشرفين مشغولون وسيكون هذا الانشغال متواصلا. ولكن بغض النظر فأنت تحتاج لتنظيم لقاءات تنال فيها قسطا وافيا من الوقت للتحدث عن أطروحتك “. ونحن لا ننصح بمحادثة مقتضبة عند احتساء القهوة أو بحديث موجز في المختبر، ولا حتى نعني بذلك لقاء في المختبر. ولكننا نقصد بقولنا تنظيم لقاءات مجدولة تركز على أطروحتك. وعلى الأرجح ستكون مهمتك جدولة هذه اللقاءات ومتابعتها للتأكد من حدوثها. وتبعا لخبرتنا، فإن مجرد جدولة اللقاءات أمر غير كاف. فأنت لا تستطيع افتراض استضافة مشرفك للقاءات المثمرة أو أن باستطاعته استشعار ما تحتاج معرفته. عندها عليك وضع برنامج محدد وغير معقد يشمل جميع النقاط العملية عن ما قمت به خلال الأسبوعين الفائتين والتغذية الراجعة عن العمل المكتوب وما سيتم عمله في الأسبوعين القادمين حتى موعد اللقاء التالي. وهذا كله يبدو بسيطا للغاية. ولكن إذا ما قام عدد أكبر من الطلاب باتباع هذه الخطوات، ستصبح العديد من قضايا الطلاب والمشرفين ممكنة الحل.

التغذية الراجعة

ونعود مرة أخرى للقول بأنه: في عالم مثالي سيكون مشرفك العلمي حاذقا في تزويدك بالتعليقات الداعمة، ولطيفا في لفت انتباهك إلى المناطق التي تحتاج لإدخال تحسين عليها، وماهرا في الدراية الحدسية لمستوى التغذية الراجعة الذي تسعى إليه. ولكن هذا محض خيال. تصف إحدى الطالبات تجربتها في التغذية الراجعة بأنها كانت أشبه بضحية إطلاق نار عابر، بعد أن سلمت أطروحتها، كانت ممزقة بالرصاص وتركت الطالبة في فوضى دامية بعد مغادرة الجاني. ولنكون عادلين، فإن ارسال فصل من الأطروحة بالبريد الإلكتروني للمشرف ثم قولك له: ” زودني بالتغذية الراجعة ” يشبه تماما دخولك مطعم ما وقولك: ” أعطني طعاما “. أعتقد أنك تحتاج لمزيد من التحديد في هذه الحالة. قم بتعيين نوع التغذية الراجعة التي تبحث عنها عند تسليم عملك. ربما تقول: “إن هذه مسودة مبكرة، لذلك أرغب فقط بتغذية راجعة عن الوجهة الكلية للعمل” أو “أرجو التركيز على المناقشة في الصفحة السادسة”. فإذا لم تكن التغذية الراجعة التي نلتها مساعدة، اسأل عن تفصيل أكثر. إن مراعاتك لمشرفك تعني سؤالك إياه ما تحتاجه أكثر من أن تعني تأملك معرفة هذا المشرف لما يتوجب عليه تزويدك به.

المداراة

إن واحدا من أسرار اعتناءك بمشرفك هو فهمك لما يريد – وما يريده معظم المشرفين: طالب يأتي إليهم باقتراحات وحلول بقدر ما يأتيهم من مشاكل تعترض طريقه. وهذا ما يتم به انجاز الأمور، ويجعل مهمة الإشراف العلمي أسهل. يدعى هذا الأمر في علم الإدارة: “managing up” المداراة. وعندما نقوم بهذا مع الطلاب الخريجين ندعوه ” مراعاة واتباع” مشرفك العلمي. وبالتالي فإنه بالرغم من كون التذمر بسبب المشرف العلمي أمرا طبيعيا – حتى أنه يمكن أن يكون علاجا شافيا – فهو ليس بكاف. إن لم يعطك مشرفك ماتحتاجه، فانطلق للحصول عليه.

What to say when someone asks you: “Should I do a PhD?”ماذا تقول إذا سألك أحدهم: “هل علي أن ألتحق ببرنامج الدكتوراه”؟

ماذا تقول إذا سألك أحدهم: “هل علي أن ألتحق ببرنامج الدكتوراه”؟

منقول و مترجم بتصرف عن الأصل المنشور في الموقع الآتي:

https://thethesiswhisperer.wordpress.com/2011/11/07/should-i-do-a-phd/

كتب الأصل الإنجليزي:  Dr Inger Mewburn & Dr Ehsan Gharaie

نقل و ترجمة أحمد عاصم المنصور

هل تعتقد أنني يجب أن أحصل على شهادة الدكتوراه؟

يبدو أنني لا أستطيع أن أذهب إلى أي حفل دون أن يسألني أحد ما هذا السؤال — هل هذا يحدث لك أيضا؟ ربما لا ينبغي لي أن أفاجأ، فطبقا لتقرير حكومي صدر مؤخراً فإن عدد الأشخاص الذين يجرون بحوثاً للدراسات العليا في أستراليا قد زاد بنسبة 41 ٪ خلال ال 10 سنوات الماضية.

ليس هناك شك في أن بعض الطلاب يبدأون دون توقعات واقعية لحجم العمل الذي ينتطرهم وكيف سيؤثر على حياتهم.

يقول لي صديقي الدكتور إحسان: عندما اسئل عن “كيفية الالتحاق ببرنامج الدكتوراه” فإني أجيب “قل لي لماذا، أقل لك كيف”. هذا الجواب يبدو جيداً لأن “دراسة الدكتوراه ليست للجميع”.

هل يمكنك العمل دون أن يقول لك أحد ماذا تفعل؟

وتختلف طريقة برنامج الدكتوراه عن برامج البكالوريوس والماجستير. ليس هناك محاضر يقول لك ما يجب القيام به ولا يطلب منك القيام بواجب أو الجلوس لامتحان. إذا كان لديك عمل في الصناعة أو الحكومة، فإنك ربما اعتدت على وجود رئيس يقول لك ماذا تفعل ووجود موظفين يساعدونك في القيام بعملك. في برنامج الدكتوراه لا يوجد رئيس، ولا احد يساعدك للوصول إلى الهدف. لديك مشرف الذي، إذا كنت محظوظاً، فإن كل ما يفعله هو نصحك و إرشادك. وهكذا، فكر في نفسك وانظر إذا كنت تستطيع العمل من دون أي شخص يقول لك ماذا تفعل. هناك العديد من القرارات التي عليك أن تتخذها خلال العملية، ويجب أن تكون على استعداد لاتخاذ تلك المسؤولية.

هل أنت على استعداد للعمل من قبل نفسك لمدة أربع سنوات؟

كثير من طلاب الدكتوراه يعملون في عزلة معظم الوقت. أي لا يوجد زملاء أو أقران. صديقك الأول و الأفضل هو جهاز الكمبيوتر الخاص بك، وعليك أن تنفق سنوات معه. الشخص الثاني في قائمة معارفك هو المشرف الذي ربما تتفاعل معه اثنتي عشرة مرة في السنة. هل تبحث عن شخص؟ الجواب هو “لا يوجد”. وهكذا ، كن مستعداً للعمل منفرداً لمدة أربع سنوات.

هل فكرت في الالتزامات العائلية الخاصة بك؟

عندما كنت طالباً في المرحلة الجامعية الأولى، كان همك الرئيسي هو دراستك والباقي هو مجرد متعة. لكن برنامج الدكتوراه يحدث عادة عندما يكون لديك المزيد من الالتزامات الهامة. إذا لم تكن متزوجا، ربما كنت تفكر في ذلك. إذا كنت متزوجا ولم يكن لك أطفال بعد، ربما كان هذا هو الشيء التالي الذي كنت تفكر فيه. هل لديك أطفال؟ إذإً ستفكر في مستقبلهم أكثر من دراستك. بل هناك طلبة دكتوراه عليهم رعاية والديهم. كذلك، ربما لديك وظيفة جيدة، وبالتالي، الدخل المالي والراحة، ويجب أن نفكر في تأثير دراستك على وضعك المالي. كما ترون، هناك دائما التزامات الحياة، ومسألة التوازن بين الدراسة والحياة يجب أن تكون مهمة للغاية في قرارك في القيام الدكتوراه.

والآن إلى السؤالين الأهمين.

ماهي خطة حياتك المهنية؟

عادة ما يدرس الناس في الجامعات ليصبحوا مدربين ومؤهلين ويحصلوا على شهادة تخولهم الالتحاق بالوظائف و المهن المختلفة. و درجة الدكتوراه، مثل البرامج الجامعية الأخرى، هي عملية تدريب. ولكن سيتم تدريبك على أن تكون باحثاً أو أكاديمياً. تتعلم كيفية البحث في المراجع و إعداد الدراسات المرجعية، وكيفية العثور على مشكلة البحث، وكيفية معرفة منهجية البحث والأسلوب، وكيفية متابعة وتنفيذ هذا الأسلوب، وكيفية تقديم النتائج، وفي النهاية كيفية كتابة الأطروحة التي تغطي جميع الحجج التي لديك وتوضح كل ما بذلته من جهد خلال السنوات الأربع الماضية من حياتك. وبالتالي، إذا كنت مهتما في ما سبق من “الكيفيات”  وإذا كنت تريد أن تصبح باحثاً أو أكاديمياً في المستقبل، فإنه الطرق الي عليك أن تسير به. ولكن إذا كنت تفكر في أشياء أخرى، فعليك المراجعة و التفكير مرة أخرى، فالدكتوراه ليست طريقك.

وأخيرا، لماذا تريد أن تفعل ذلك؟

إن الحصول على درجة الدكتوراه ليس سهلاً. انها تحتاج إلى الصبر. السائق الوحيد في الرحلة بأكملها هو الدافع الذاتي. فما هو الدافع لديك؟ هل الدافع هو أن تنادي بلقب “دكتور”؟ هل لديك أخ أو أخت معهم الدكتوراه، وأنت تشعر بأنك يجب أن تكون مثلهم؟ هل أنت مدفوع إلى ذلك من قبل عائلتك؟ إذا كنت لم تقتنع بعد بأنك حقا بحاجة الى القيام بالدكتوراه أو لديك شكوك حول هذا الموضوع، انتظر لبعض الوقت ولا تتسرع في ذلك. بعد كل هذا سوف يكون ما لا يقل عن أربع سنوات من حياتك ، وتكون متأكداً أنك لن تستسلم في منتصف الطريق.